仁木八幡宮 - 岡崎市仁木町
誤記ですこれ。
車を停めたところには秋葉山の常夜燈あり。
鳥居さん。
石質が荒くて建立時期不明。
大正の文字だけ読み取れた。
大正の文字だけ読み取れた。
笠木部分の曲線が美しい・・・ まるで Xperia arc の様だ。
社号標は脇に追いやられている。
大正10年10月14日。
鳥居をくぐってすぐのところに手水舎。
水盤文字彫り深さはまずまず5cm
水盤文字彫り深さはまずまず5cm
石段を上っていくと拝殿が見えてきました。
境内はけっこう広いようです。
耳は阿吽共に立っていないようだ。
お生まれは昭和12年10月。
お生まれは昭和12年10月。
両方とも見たことありますが、古代型の方を得意としていそうな印象。
拝殿の瓦には左三つ巴だ。
境内社のような倉庫のような不明の建物。
瓦には水の文字があるから、そこから判別するしかない。
瓦には水の文字があるから、そこから判別するしかない。
その建物の裏側に井戸跡を見つけました。
『御神水井戸跡』
当宮創建の頃より総ての神事に神饌として使われていた尊い井戸です。
古老に聞いてもこの井戸が使われた時代を知る者も無く何時の時代からか空井戸となり森の中に隠れていました。
現在は草刈や虫採りの子供などの転落を防ぐためコンクリートの蓋で覆ってあります。
当宮創建の頃より総ての神事に神饌として使われていた尊い井戸です。
古老に聞いてもこの井戸が使われた時代を知る者も無く何時の時代からか空井戸となり森の中に隠れていました。
現在は草刈や虫採りの子供などの転落を防ぐためコンクリートの蓋で覆ってあります。
確かに子供が遊んで落ちてしまうと危ないね。
現に自分が訪れたときの父親と子供たち数人が遊びに来ていたところだったし。
社殿向かって右手方向には大きな舞台があり。
【由緒】
元文4年(1739)正月15日 石鳥居建立。
明治5年10月12日、村社に列格し、同22年3月24日、社殿炎上、焼失す、同24年11月 復旧造営なる。
同42年3月19日、境内社の神明社と津島社を本社に合祀する。
ね、天満宮関係ないでしょ?