蚊
私は蚊と人間の醜い争いに嫌気がさしていました。
人間はいかに蚊を殺すかに奮起し、
私たち蚊は無差別に人間を襲い続けるというこの関係が、昔からずっと続いていたからです。
そんな関係をなんとか改善しようと、私は立ち上がりました。
憎しみが憎しみを生む関係に終わりを告げ、話し合いで解決しようとしたのです。
人間はいかに蚊を殺すかに奮起し、
私たち蚊は無差別に人間を襲い続けるというこの関係が、昔からずっと続いていたからです。
そんな関係をなんとか改善しようと、私は立ち上がりました。
憎しみが憎しみを生む関係に終わりを告げ、話し合いで解決しようとしたのです。
もちろんそれは簡単なことではありませんでした。
私たち蚊の中にもさまざまな考えを持った者がいますから、
彼らを説得して意思を統一するのは容易ではありません。
しかし、この提案が蚊と人間の末来にとってどれだけ重要で光のあるものなのかを、私は訴えつづけました。
そしてついに、蚊界最高の会議にて私の提案は認められたのです。
これまでの努力は無駄ではありませんでした。
これで世界が変わる。
新しい未来が待っている。
天にも昇るような気持ちをどう表現したらよいでしょう。
これを早く、一刻も早く人間に知らせたい。
興奮冷めやらないまま、私は目の前にいた人間に伝えようと耳元へと近づいたのです....
パチン
白山比咩神社 - 石川県白山市三宮町
石川県白山市に鎮座する白山比咩神社。
行ってきました! 前々から訪れてみたいと思っていた、白山系神社の総本社でございます。
北陸地方や東海地方に白山系の分社が多く、全国に3,000社程もあるんだとか。
距離的には大した距離ではないけれど、電車の待ち時間にやたらと時間がかかってしまった。。。
金沢中心部では雪はほとんど残っていませんでしたが、ここは山間部になるため、まだまだ雪は残ってた。
遠くから見たときはそれほど大きく感じなかったけど、近くに寄るとやはり大きい。
社号標の前面はどれくらいだろう、雪に阻まれて測れなかった、というか最近メジャーを無くしてしまったから測れるものがなかった。
参道が続き、徐々に上っていく感じだ。
途中の『琵琶滝』
左手に手水舎と、第二鳥居(昭和44年12月建立)
第二鳥居の脇に狛さんを発見!!
微妙に口を開けた阿。
微妙に口を開けた阿。
雪に埋もれた吽。
年代不明。自分にもっとガッツがあれば読めたかも。
このタイプは何型というんだろうねぇ 吽側だけに角がしっかりと生えている。
色だけ見るとけっこう古そうだけどもどうなんだろう、石質の関係か、尻尾や渦巻きなど風化はあまり感じられない。
第三鳥居。
これは新しめの平成8年12月建立。
これは新しめの平成8年12月建立。
三つの鳥居すべて扁額無しの明神鳥居だ。
石川の神社は明神で扁額無しが標準なのかなー と、対して石川の神社を知らないくせに言ってみたりする。
第三の鳥居をくぐって左へ進むと社殿が見えてきました。
うほっ 手前に大きな狛さんがお出迎え。
年代不明。自分にもっともっとガッツがあれば読めたと思う。
古代型(護国型?)で、これも吽側だけに角が生えている。
古代型(護国型?)で、これも吽側だけに角が生えている。
台は比較的低め。
賽銭投げ入れてぱんぱん。
参拝者もそこそこ居た。
隣りにある社号標はとても古そう。
これも吽側角つき。
雄の象徴♂については阿側だけにしっかりと彫られていた。
最後に立派な手水舎です。
訪れたのは今年の2月だったから、まだ寒くて雪もご覧のように残っていました。
ただ天気が良かったので比較的過ごしやすく、ほんといい時に行けてよかった。
最近真夏のように暑いので、少しでも涼しくなっていただけたら幸い!
磯崎神社 - 豊田市迫町
深見町の磯崎神社を参拝終え
↓
さあどうしようか
↓
道路地図を眺める
↓
同名の神社を発見
↓
行くべ。
という経緯なわけであります。
鳥居前に着いてぱちり。
社号標。
大正8年10月建立。
社号標の元に英語表記付きの由緒板です。
【由緒】
社伝に、元亀元年(1570)、猿投大明神東宮の本地仏薬師如来を祀る。
年の変遷によりほんとうの産土神と崇め奉る。
明治の制度改めにより廃却となり、社伝を造営し常陸国大洗磯前酒列磯前にならい、磯崎神社と改号し明治8年11月、村社に列格する。
社伝に、元亀元年(1570)、猿投大明神東宮の本地仏薬師如来を祀る。
年の変遷によりほんとうの産土神と崇め奉る。
明治の制度改めにより廃却となり、社伝を造営し常陸国大洗磯前酒列磯前にならい、磯崎神社と改号し明治8年11月、村社に列格する。
前の磯崎神社で始めて見た鳥居の扁額形状、なんとここでも拝むことができました。
扁額と額束が一体となっている。
ここいらの地域ではこれが一般的なのか?
それにしてもどうやって固定しているんだろう。
その他の部位で気になったのが、これ。
台輪鳥居のようなそうじゃないような、微妙な感じ。
舞台。
この舞台には回転させる円形の舞台ではなかったです。
社殿は石段を上がった先にある様子。
石段前には門松。
石段前には門松。
昭和の文字は読めましたが、数字は読めなかった。
紅白の幕が眩しい。本殿も同様。
その本殿の後ろにも建物があると気付いて回っていったら、こちらはお寺だった。
末社(小宮六社)
深見町と同じ6社かと思いきや、同じなのは洲原社と金毘羅社だけ。
しかも金毘羅社に関しては、深見町の琴平社と漢字表記が違ってるし… 微妙だなぁ
しかも金毘羅社に関しては、深見町の琴平社と漢字表記が違ってるし… 微妙だなぁ
ここの地域をもっと詳しく調べたら、同じ磯崎名称の神社が見つかるかもしれません。
ご存知の方がいましたら、ここにもあるよ~ とご一報ください。
磯崎神社 - 豊田市深見町
豊田市深見町に鎮座する磯崎神社。
2011年、年明け早々の新聞にこんな記事がありました。
2011年、年明け早々の新聞にこんな記事がありました。
豊田の深見町... 地図で調べてみると、高速道路を使えば30~40分の距離で、場所も分かりやすそうだ。
行動力の無い自分にとっては珍しく、その日に神社巡りをすることにした。
今日の新聞だしもしかしたら誰か居るかもしれないな。
高速道路も空いてたし、予想通り40分ほどで着くことが出来た。
カーナビには鳥居マークが無かったから不安だったけど、目的の磯崎神社で合ってるね。
大正12年10月建立。
鳥居。
その際に気付いたんだけど、この扁額と額束を見てほしい。
なんと、繋がっていて一つの岩から出来ているではないですか。
これまでいくつも鳥居を見てきたけど、こういうのは初めてだ。
逆に、これまでどうなっていたのか分からなくなった。
参道。
その途中の気の根元。
なんだろう、大木が折れてその上から新しい木が育ったとか?
手水舎。
丸い自然石タイプの水盤。
鉄製の龍の水口。水は無し。
右奥の方に社殿があるってことは、この手水舎の後ろの建物が例の舞台だな。
それにしても人っ子一人居なくて静かなもんだなぁ なんだか期待はずれ。
でた、これだ。
床下から人力で回転させる円形舞台なんだそうな。
床下から人力で回転させる円形舞台なんだそうな。
当然だけど手で動かせなかった。
新聞記事と同じアングルで撮ってみますか。
読売新聞のweb版に記事が載っていたのでURL付けときます。
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/space/space110105_1.htm
http://chubu.yomiuri.co.jp/tokushu/space/space110105_1.htm
さて社殿。
石段前には門松が飾られていて、その後ろ側に隠れるように岡崎現代型の狛さん。
昭和61年生まれ。
狛さんの隣りには由緒看板。
【由緒】
この地深見郷は武田王の後裔武田氏の居住した所。社家武田氏社僧神宮寺あり。
元亀元年(1570)名僧慈覚大師作の薬師如来の像を祀る。
江戸時代には里山産土神と崇め奉る医薬延命守護として信仰を集めた。
明治の制度改めにより薬師如来を廃して明治6年祭神を改め
同8年11月社殿を建立し磯崎神社とする。この年村社に列格した。
この地深見郷は武田王の後裔武田氏の居住した所。社家武田氏社僧神宮寺あり。
元亀元年(1570)名僧慈覚大師作の薬師如来の像を祀る。
江戸時代には里山産土神と崇め奉る医薬延命守護として信仰を集めた。
明治の制度改めにより薬師如来を廃して明治6年祭神を改め
同8年11月社殿を建立し磯崎神社とする。この年村社に列格した。
由緒はご丁寧に英語表記もあるのですが、都会の神社ならまだしも山奥にあってもなぁ というのは自分の意見で、あったらあったできっと役立つ時がくるでしょう。
社殿の扁額。
左三つ巴紋が見えるから、これが磯崎神社の社紋なのかい。
社殿右側、岩津天満ともう一つは不明。
左から
・市杵島社
・洲原社
・蚕霊社
・琴平社
・鎮守社
・伊勢社
洲原社は分社豊田にもあったんだね。
蚕霊社はあまり出会ったことない、鎮守社も珍しいなぁ
・市杵島社
・洲原社
・蚕霊社
・琴平社
・鎮守社
・伊勢社
洲原社は分社豊田にもあったんだね。
蚕霊社はあまり出会ったことない、鎮守社も珍しいなぁ
ここまで経っても誰一人訪れてこなかった。
ちょっと寂しいし体が冷えてきた。
ちょっと寂しいし体が冷えてきた。
神明宮 - 豊田市高岡町
豊田市高岡町に鎮座している神明宮。
大通りからはたぶん見えにくいと思うから小道に入らないと辿り着けないと思う。
大通りからはたぶん見えにくいと思うから小道に入らないと辿り着けないと思う。
正面の鳥居。
この鳥居の前には味のあるアパートがある。
ボロボロなんだけど、こういう場所に住みたいなぁ
ボロボロなんだけど、こういう場所に住みたいなぁ
鳥居と社号標の黄金セット。
鳥居は木製の神明鳥居、木製だから年代分からないだろうと思っていたら、
金属製のプレートが付けられていた … 昭和33年10月建立。
社号標アップ。
社号標の先のベンチで休憩するおばあちゃん。
鳥居をくぐる前に、『神明宮と猩猩』という説明書きが目に付いた。
『神明宮と猩猩(しょうじょう)』
この郷社は、昭和4年着工され 同6年4月8日に竣工された。
上棟式には、2万人もの人出があったという。
造営費は現在換算で、およそ5億円という。
昭和初期の不景気の中で、わずか80戸足らずの小村での大事業は、神への信仰の深さを物語っている。
問う神社には、この地域には珍しい「猩猩」がある。中国の伝説上の獣で、形は人間に似て人語を解し、酒好きという。猩猩に触られると魔除になると伝えられている。
猩猩は背丈が高く、人の1.5倍くらい、髪は茶色で長く、にやけた赤ら顔で、綿入れの着物を着て尻ばしょりをし、下向きの白い目が印象的である。
手水舎。
水盤文字彫り深さはすごい、久々の大物 9cm。
祓所の木は剪定されて可愛らしい型体になっている。
チョコのアポロ型?
これは神楽殿で合ってるかなぁ
この神楽殿の前の玉砂利を見てわかるように、整備されていて綺麗だ。
これを撮っていたら向かい側の社務所から地元の方が出てきて話しかけてきた。
紅葉の時期だったから、紅葉の話を少ししました。
紅葉の時期だったから、紅葉の話を少ししました。
拝殿はご立派。
鰹木6本、千木内削ぎ。
吽 - 子取り
顔立ちは… あまり見たことない、特に目の辺り。
拝殿前。
社号標後ろのベンチで休憩してたおばあちゃんが、さっきまでこの丸太に座って長い間休憩していた。
おばあちゃんの特等席かもしれんね。
左から
・不明
・不明
・稲荷社
・山ノ神社
・不明
・不明
・稲荷社
・山ノ神社
最後帰りがてら、祓所の裏の方で見つけました。
旧鳥居でしょうか。
これまで足だけ残されたのを何度か見たことがあります。
これまで足だけ残されたのを何度か見たことがあります。
9月19日は読めるけども、肝心な年が読めない。
片足しかないのかな。
周りを見渡してみると、下の方にもう一方を見つけました。
離れ離れでかわいそうに。
たまたま今日 『雷桜』 を見たばかりだったから、離れ離れの姿が切ない (PД`q。)・゜・
【由緒】
創建は明らかではない。享保年間再建の棟札あり。
明治5年9月1日、郷社に列格し、同40年10月26日、指定社となる。
同42年8月1日、字新宮39番無格社新宮社を合祀し、大正元年10月25日、字長根13番、無格社秋葉社を合祀した。
銭洗弁財天(宇賀福神社) - 神奈川県鎌倉市佐助
鎌倉、銭洗弁財天でござい。
霊水で銭を洗うとお金がたまるという信仰もあり、ちょっとした珍観光スポットとなっていて人気も高い場所です。
訪れたときも、若い年齢層の割合の方が多かった。
場所は鎌倉駅から徒歩で20分ほどの距離、三々五々と歩く人達はほとんどこの銭洗弁財天に向かっている様子。
(狭い住宅街の道を通るものだから、住民の方々はいろいろと大変なんだろうと察します…)
坂道を上っていくと鳥居が見えるので分かりやすいです。
鳥居とトンネルをくぐって、ほんとに神域に入ったぞという感じで雰囲気は良い。
手水舎で身を清めてから、木製の鳥居をくぐっていくと社務所がみえてきた。
ここで100円を払って、ザルと先行とろうそくをいただきます。
献香台に先行を納め → 本宮で宇賀福神にお参り → 洞窟の中でお金を洗う こんな流れ。
「財布の中身ぜんぶ洗う!」と言っている方もいました。
小銭だろうと、お札だろうと、なんでもいいらしいですね。
ただお札は乾かさないといけないから自分は控えましたが…
自分が経営者でもココ以外はありえないだろうと思うくらい、つまらぬことで感動してしまった。
年齢層も比較的若く、観光客の多い集団、歩き疲れた帰り道で、駅からも離れすぎていない、ベストな場所。
みんな吸い込まれるようにして店に入っていくのが見えた... もちろん自分も。
気温も下がって雨もふりだしてきていたので余計に暖かく感じた。
そんなことはさて置き、鎌倉大仏を見に行ったとき 『鎌倉まめや』 で買ったきなこ豆がめちゃくちゃうまい!!
すぐに無くなってしまうので、一日一個と制限しているほど。
大仏見にいったときは是非! 人気があって人が集まっているのですぐわかると思います。