そこらへんの神社!

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奥殿神社 - 岡崎市奥殿神社

以前紹介した奥殿熊野神社を訪れたとき、カーナビに鳥居マークを発見して向かいました。

民家の間を通って坂道を上っていくと、鳥居が見えてきた。

 
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鳥居と社号標を正面から。
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うわすごい、境内いっぱいに芝生が生えている。
一部に芝生が生えてるのは訪れたことがあるけど、境内一面を覆っているのは初めてだ。
 
雰囲気good! 印象good!
 
 

鳥居は明治32年建立で、笠木島木の繋ぎ方はこのタイプだ。
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鳥居と社殿の中間辺りの水盤。
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大きくて立派なんだけど、つるつるで意外にも文字が彫られていない珍しいタイプ。

もう少しなんとかならなかったのかなぁ... 水口も水道の蛇口まんまだし。
 
 

 
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拝殿の前に居座る狛犬さんは、遠くからでも異様な形だと察知できた。

見慣れた岡崎現代型じゃない!
 
 

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なんていう部類に入るんだろう。たぶん浪速型かな。
まさかこんな岡崎の地でこういったタイプの狛さんと出会えるとは…
 
 
 
 
後ろ姿。
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子供。
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台。
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石工さんは荒木弥助とな。
荒木弥助で調べてみたら、すこしだけ情報を入手できた。
 
枇杷島町の石工 荒木弥助】
活躍したのは明治から大正にかけてで、色々なタイプの狛犬を彫りわけていた。
浪速型狛犬を最初に彫り始めたのも荒木弥助で、花崗岩狛犬も多く手掛けている。
 
 
 
ついでに浪速型狛犬についても調べてみた。

【浪速型狛犬
元になる狛犬は幕末当時大阪で彫られていた浪速(浪花)狛犬量産タイプで、『丹波佐吉』や『杉屋和助』らが従来の定番を超え、装飾を増やし拘りの意匠で彫っていたが、明治維新以後、政情不安で狛犬の奉納が激減した。
政情が安定し再び狛犬の奉納が増え始め、京都・滋賀・名古屋で第二期の浪速狛犬の制作が始まりました。
子付き・玉持ちタイプの狛犬も増え江戸時代の浪速型狛犬より格段にしっかりした彫りになったが、浪速型狛犬の特徴だった『獅子・狛犬』で一対とする様式がすたれ角の無い左右同じデザインで『阿吽』になった狛犬が定番になった。
 

いやぁ 出会えて良かった。
 
 
 
 
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拝殿はガラス張りで中はとても明るい。
張り紙を見てわかるように、猿が拝殿内に侵入することがあるらしい。

とりあえず扉を開けて賽銭箱に小銭投入。
二拝二拍手一拝でお手々ぱんぱーん。
 
猿よ見ているか、これが正しい参拝の仕方だぞい。
 
 
 
 
 
本殿は鰹木6本の千木内削ぎ。

 
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社殿の裏側へ回ってみたら、社号標が建っていた。

 
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八坂神社?

神社名鑑で調べてみると納得。

【由緒】
明治41年8月25日、許可をうけ、字田祇の田祇神社と字天王洞の八坂神社と同字の熊野神社を合併し、新しく現在地に社殿を建て奥殿神社と改称、同44年12月27日、共進指定をうけた。
但し熊野神社は昭和24年5月10日に分離し旧社地に戻す。
 
 
田祇神社と八坂神社が現在合祀されてるらしい。

田祇神社の社号標はなかったのかなぁ
熊野神社は分離して天王洞の地に移したとあるけど、ネット地図で見る限り表記はなかったので実際行ってみなきゃわからないね。
 
 
 

最後に拝殿前からの写真でお仕舞いです。
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う~ん やっぱりいい眺め。