八劔神社 - 岡崎市矢作町
着いてみればあれれ、改築中らしい。
せっかく来たんだし、参拝できないこともないから参拝していきましょう。
水盤。
鳥居の笠木島木の左右の繋ぎ方、これ好き。なかなか見ないね。
鳥居…建立時期不明。
社号標。
明治20年7月28日。
日にちまで書かれているとは珍しや。
日にちまで書かれているとは珍しや。
この稲荷社専用の水盤らしきものがあんなところに…
どうやって使えというんだろう。
どうやって使えというんだろう。
お社(拝殿)
吽、子取り
狛犬…大正15年11月生まれ。
吽の後ろの作業員…年齢不詳。
たしか3人いたかな。
正直迷惑そうな感じだった。
正直迷惑そうな感じだった。
お社を斜めから。
反対側には小さい境内ながらも遊具が設置されていた。
鉄棒、ブランコ、滑り台。。。
岡崎や安城には必ずと言っていいほど神社に遊具があるなぁ。
岡崎や安城には必ずと言っていいほど神社に遊具があるなぁ。
しかも同じ種類の遊具だし、お役所さんが決めたんだろうね。
そんなこんな神社の様子をノートにメモしていたら、作業していた人達が帰り支度を始めて、あやうく取り残されそうになった。
ほら、フェンスで占められている。
居ることはわかってるんだから、一言声を掛けてくれればいいのに。
おまけに駐車場にもロープを張ろうとしていたから、すみませんすみませんと、慌てて八劔神社を後にしたのでした。
【由緒】
社伝に昔は伊勢皇太神宮を祀ったが何時の頃からか日本武尊を勧請し八剱大明神と称し字桜街道に鎮座して、天正年間(1573-91)までは大祭の4月15日、岡崎から神輿の渡御があり御旅の宮とも称した。
後、水難を避けて現在の社地に遷座する。
明治5年10月、制度改めに際して、矢作村第9大区5小区の員外社に定められ据置公許となる。
社伝に昔は伊勢皇太神宮を祀ったが何時の頃からか日本武尊を勧請し八剱大明神と称し字桜街道に鎮座して、天正年間(1573-91)までは大祭の4月15日、岡崎から神輿の渡御があり御旅の宮とも称した。
後、水難を避けて現在の社地に遷座する。
明治5年10月、制度改めに際して、矢作村第9大区5小区の員外社に定められ据置公許となる。