綿積神社 - 岡崎市柱町
JR岡崎駅からほど近い場所、南西200mくらいの距離かな、綿積神社。
左右には新旧の社号標がお出迎え。
「暑いのによく来たね」
いえいえ、好きでやってるものですから(。_。 )...
鳥居アップとその下に新しい由緒書き。
【由緒】
この地は元矢作川に臨む土地にて、有史以前より住民居住し、海神、綿積命を祀る。
神仏習合時代は、海神としての性格より八大龍王社とも称する。
小豆坂の合戦の後、今川氏の将朝比奈備中守泰能は当社に参拝し戦勝の御礼に槍一本を奉納。
また、徳川家康は、永禄六・七年の一向一揆の際、出陣のたび戦勝を祈願。
この地の住人で家康の家臣神尾孫兵衛久宗と、その子四郎興五郎は産土神として崇敬した。
この地は元矢作川に臨む土地にて、有史以前より住民居住し、海神、綿積命を祀る。
神仏習合時代は、海神としての性格より八大龍王社とも称する。
小豆坂の合戦の後、今川氏の将朝比奈備中守泰能は当社に参拝し戦勝の御礼に槍一本を奉納。
また、徳川家康は、永禄六・七年の一向一揆の際、出陣のたび戦勝を祈願。
この地の住人で家康の家臣神尾孫兵衛久宗と、その子四郎興五郎は産土神として崇敬した。
扁額さんはめずらしい。薄っぺらくて長細くて文字がギリギリ判別できる。
手水舎。
社務所って基本的に鳥居くぐって左側に多いよね。
狛犬さん。
はい、股抜きショット。
こちらが拝殿と言いたいところですが、ひねもすさんのサイトでここの綿積神社の記事を見ると、どうやら握舎ではないかとのこと。
握舎… 初めて聞いたな。
確かに、中を覗くとお社が2つ。奥が本殿なのは間違いないとして、そうなると本殿手前が拝殿かな。
それとも拝殿-握舎-本殿の順番かな。
正確にはわかりませんが、手前から
鰹木7本、千木外削ぎ
鰹木5本、千木外削ぎ
鰹木9本、千木外削ぎ
鰹木7本、千木外削ぎ
鰹木5本、千木外削ぎ
鰹木9本、千木外削ぎ
境内社3社。
それから腰掛石なるものが。
御祭神を柱津彦命と申し、天津彦根命の後裔、五十芥(いそたける)命の孫、額田別命の御子なり。
十二代景行天皇の勅を奉じ當地に遷(うつ)り坐し、民草の統治、荒野の開拓に力を注がる、即ち岡崎市南部菅生川以南(福岡、幸田、竜谷)東は男川沿岸を始めて後には岡崎、額田一円に亘り産業、文化の発展に努められ斯の御事蹟や著しく現在の盛殷(せいいん)の礎を築き給う。
十二代景行天皇の勅を奉じ當地に遷(うつ)り坐し、民草の統治、荒野の開拓に力を注がる、即ち岡崎市南部菅生川以南(福岡、幸田、竜谷)東は男川沿岸を始めて後には岡崎、額田一円に亘り産業、文化の発展に努められ斯の御事蹟や著しく現在の盛殷(せいいん)の礎を築き給う。
叙上の如く命は此の地(柱)に館を構え、折り[反復記号]の御休息の石として用いられしと、郷人(さとびと)天神様の腰掛石とぞ傳え今に及ぶ。
神垣に千年萬歳残るらん/名も世に腰掛の石
腰掛けたかったしもっと調査したかったけど、用事があって時間がない。
無念。
面目ない。。。
面目ない。。。
鳥居をくぐって境内を出ようとしたら社号標がまた声を掛けてきた。
「車に気をつけてね」
うん、ありがと。またくるね。
言い忘れてましたが、鳥居は明治31年12月!