土橋八幡社 - 豊田市土橋町
人工稲妻発生装置を搭載した巨大作品≪黒い太陽≫は、音がすごくて真っ暗で怖かった。
あと1歳若かったら大泣きしてるところだったもの。
あと1歳若かったら大泣きしてるところだったもの。
それから≪トラやん≫は10%だけ可愛かった。
鳥居は新しいけども、ぎりぎり昭和の61年10月建立。
右側の瑞垣の向こうに見えるのが社号標。
あ、でも時代的に長さの単位が違うのか。
計算してみると約8寸だ・・・ 八幡社だけに?
計算してみると約8寸だ・・・ 八幡社だけに?
手水舎。
水盤は綺麗なんだけど、水無し水道蛇口が残念。
阿-玉、吽-子供の一般的な型だと思ってたら、玉がなんかちょっと違うみたい。
なんだろう?
前足で掴んでいるような潰しているような。
前足で掴んでいるような潰しているような。
そうだそうだ、股抜きシャッターも忘れずに。これは吽側から。
狛犬さんの高さが丁度いいから撮りやすい。
洒落っ気付いて鰹木3つ乗っけてらぁ
さあ本殿。
豆電球が点いてる。
最初に訪れた夕方の時刻にも点いていて、今回の朝方にも点いてるってことは常時点灯なのかな。
最初に訪れた夕方の時刻にも点いていて、今回の朝方にも点いてるってことは常時点灯なのかな。
手前には柵があって、本殿瑞垣の中には一切立ち入れない。
でも見渡しても賽銭箱ないや、投げればいいのかな。
もどもどしていると手前の屋根付きのものが賽銭箱だということを発見。
まるで井戸みたいな賽銭箱はお初だ。
これだけ神社を回ってきても、毎回お初を発見するんだよなぁ 世界に一つだけの神社ということですか。
これだけ神社を回ってきても、毎回お初を発見するんだよなぁ 世界に一つだけの神社ということですか。
吸い込まれるように賽銭投入。
【由緒】
永禄5年(1562)上野城主酒井将監忠尚 男山八幡宮より分霊を請け、社殿を造営寄進し鎮守の社とす。─────
明治7年3月村社に列し、大正2年4月15日、字土橋の天王社と同字秋葉社を本殿に合祀する。
永禄5年(1562)上野城主酒井将監忠尚 男山八幡宮より分霊を請け、社殿を造営寄進し鎮守の社とす。─────
明治7年3月村社に列し、大正2年4月15日、字土橋の天王社と同字秋葉社を本殿に合祀する。
本殿の左手には2社。
本殿右手にはお社3つですが、どれも不明。
簡単に作った略図。
最後に写真3つです。
本殿横からぱちり。
社殿瑞垣内の燈籠下にあったナニコレをぱちり。