水分神社(上条弁財天) - 安城市上条町
そしてこちらが大通り側から見える社号標。33.5×33.5の正方形でございますよ。
その後ろに車5台ほど駐車できるスペースがあり、境内です。
由緒碑。
仁安元年(西暦1166年)後白河上皇は、皇姫高倉三条女御の料荘として、碧海の庄を新設し、その荘園の経済交流のために現岡崎市上青野町に市場を開き市場神として弁財天を祭祀された。
慶長6年(1601年)岡崎城主本多豊後守康重公は、旧友の米津盛円大僧都が上条白山媛神社の神宮寺(神光寺)の別当職に内定したのを喜ばれて、福の神を贈ろうといって青野弁財天を贈られた。
その勧請の時たくさんの石に経文を書き写して敷きならべその上に社堂を建立したという。
その後不思議なことに地下より清水がこんこんと泉の如く涌きいでそれ以後いかなる旱魃時にも絶えることなくあまねく田畑をうるおし豊穣の恵みを村民にもたらし病めるものはこれを癒し、悩めるのには神霊により苦悩を解かれたという。
泉より涌き出る清水は、田方250石(625俵)の豊かな稔りを村民にもたらしたという。
御霊水は昔から「おでき」「いぼ」「眼病」が速やかに治るといわれ又音曲、芸能の神、子宝を授かる神として、信仰する方が多く、近年事業の繁栄、進学、良縁、長寿、交通安全等の祈願する人が多くなって参りました。
慶長6年(1601年)岡崎城主本多豊後守康重公は、旧友の米津盛円大僧都が上条白山媛神社の神宮寺(神光寺)の別当職に内定したのを喜ばれて、福の神を贈ろうといって青野弁財天を贈られた。
その勧請の時たくさんの石に経文を書き写して敷きならべその上に社堂を建立したという。
その後不思議なことに地下より清水がこんこんと泉の如く涌きいでそれ以後いかなる旱魃時にも絶えることなくあまねく田畑をうるおし豊穣の恵みを村民にもたらし病めるものはこれを癒し、悩めるのには神霊により苦悩を解かれたという。
泉より涌き出る清水は、田方250石(625俵)の豊かな稔りを村民にもたらしたという。
御霊水は昔から「おでき」「いぼ」「眼病」が速やかに治るといわれ又音曲、芸能の神、子宝を授かる神として、信仰する方が多く、近年事業の繁栄、進学、良縁、長寿、交通安全等の祈願する人が多くなって参りました。
灯籠と鳥居の図。
こうゆう池の中に立つ鳥居は明神鳥居が多いのかな。
神明鳥居を想像してみたけども、いまいちしっくりこないからやっぱこれが合ってるんだろうな。
神明鳥居を想像してみたけども、いまいちしっくりこないからやっぱこれが合ってるんだろうな。
水深は西尾弁財天に比べて浅い様子。
この社号標は古くて、大正5年4月建立。
その足元には水盤とヘビの置物。
社殿。
水分神社と名のつく神社は初めて訪れたんですが、おそらく愛知県内ではここだけ。(他にあれば教えてください)
奈良県には数多くある名前の神社だそうですよ。
最後に社殿前から鳥居を撮っておしまいです。