そこらへんの神社!

知立・安城・刈谷・岡崎・豊田周辺の神社めぐりをしています。

蒲生神社 - 奄美市笠利町屋仁

奄美市笠利町屋仁の蒲生崎に鎮座している蒲生(がもう)神社。




見晴らしのいい展望台もあって観光客もそこそこ来るようなので、駐車場も整備されていて案内板もあります。

車がギリギリすれ違えるほどの一本道をひたすら蛇行。
その途中4台の車とすれ違ったから、やっぱそこそこ人来てるんだね。


駐車場に車を停めて案内板。
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あった鳥居マーク。

『今を去る約800年前、高見番として残された蒲生左衛門を祭神として建てられた神社である。』



まずは展望台で海を眺めてから
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さあ神社。
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今にも倒れそうな鳥居が一つ、丸太で組まれているこれは素木鳥居と呼んでいい?

行き方は2ルートあるんですが、鳥居があるこちら側は見ての通り足場がわるく険しい。
しかも所々にハブ出現注意の張り紙が貼られているのでちょっと怖いし・・・

なのでもう一方の階段のある整備された側から下っていくことにしました。

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しばらく歩いていくと、見えてきましたさっきと同じタイプの鳥居と社殿が!
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社殿前には鳥居が2つあるんですね。
合計3つです。

鳥居を一つくぐって階段をのぼっていくと、2つめの鳥居の前に狛犬さんが見えた。


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右の阿形。
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左の吽形。
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小さめの狛犬さんは奄美にきてから初めてだ。うれしいなぁ。

手作り感があって表情も個性的。

そして気になるのが狛犬さんの両脇に立ってる石造。

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ナニコレ。ナゼココ。

右側は腕がもげてるのかな?



社殿と、
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その前には由来碑。
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もっとじっくり堪能したかったんですが、なにしろ時間がなかったので写真だけ撮るような形になってしまいました。


実は奄美大島には、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平氏の残党が落ち延びてきたという伝説が各地に数多く残っているんですね。

奄美大島に渡ってきたのは平行盛平有盛平資盛のお三方。
行盛は龍郷町戸口に、有盛は名瀬市浦上に、資盛は瀬戸内町加計呂麻島の諸鈍に居を構え、その地には3人を祀った神社もあるそうなんです。

そして追手源氏の船を見張るために、東シナ海側には今井権太夫と蒲生左衛門を配した。
その名をとった今井崎と蒲生崎はそれぞれ今井神社、蒲生神社が建てられているんだそうです。
今回訪れたのが蒲生神社で、地図を見てみると南西にある岬にあるのが今井神社。

遠見番ということもあって、それでとても見晴らしがいいわけなんですねぇ。



ちなみに母親に教えてもらったんですが、奄美では北のことを『ニシ(西)』というそうです。

『キタ』は追手の源氏が『来た』に通じることから、このように呼んだみたいなんですね。
北風も『ニシカゼ』と呼ぶから、う~ん紛らわしい(^^;
深い歴史があるんですね。


こうやって調べてみると、奄美にも多くの神社があることを知らされました。

また今度訪れるときは是非とも余裕をもって、あっちこっちそこらへん神社へと参拝しに行きたいものです。