八幡社 - 西尾市志貴野町
西尾の神社をめぐろうと出発した当日は、あいにくの曇り空。
前日チェックした降水確率も降るか降らないかの数字で心配でしたが、なんとか持ちこたえてくれそうだったのでいざ出発。
前日チェックした降水確率も降るか降らないかの数字で心配でしたが、なんとか持ちこたえてくれそうだったのでいざ出発。
その一つ目の神社が志貴野町に鎮座する八幡社。
社殿裏手にある公民館の駐車場に車を停めて鳥居側に回る。
鳥居は平成6年10月と新しいですが、社号標は大正4年11月。
左手には由緒碑、というか八幡社移転造営の碑。
当時 志貴野町は明治17年8月古新田村と新々田村と合併し 近衛家所領の志貴荘に因みて志貴野村と改称し市制施行により昭和28年志貴野町となりました。
当八幡社は延宝4年5月(1675年)に建立されたものであり御祭神は誉田別尊 天照大御神外三柱で明治43年4月丸山地内の神明社と合祀されたものです その旧神社は現在地より矢作川上流700米の宮前地内にありましたが同地は川幅が狭く洪水時の危険区域になっていましたので建設省と町民との協議の結果平成2年合意が成立し神社の移転造営の計画が始まりました丸山地内の旧神社地を志貴野町のほぼ中央の現在地を代替地として約2000平方米を確保し平成5年と6年に亘り移転造営をしました。
移転に当り町民の熱意と関係各位の御協力により立派な新社殿社務所を始め諸施設が完備いたしました。また町内の公民館も併設することができました。
平成6年11月12日遷座祭を斎行することができましたのも関係者各位のご尽力の賜と心より感謝を申し上げる次第でございます。
当八幡社は延宝4年5月(1675年)に建立されたものであり御祭神は誉田別尊 天照大御神外三柱で明治43年4月丸山地内の神明社と合祀されたものです その旧神社は現在地より矢作川上流700米の宮前地内にありましたが同地は川幅が狭く洪水時の危険区域になっていましたので建設省と町民との協議の結果平成2年合意が成立し神社の移転造営の計画が始まりました丸山地内の旧神社地を志貴野町のほぼ中央の現在地を代替地として約2000平方米を確保し平成5年と6年に亘り移転造営をしました。
移転に当り町民の熱意と関係各位の御協力により立派な新社殿社務所を始め諸施設が完備いたしました。また町内の公民館も併設することができました。
平成6年11月12日遷座祭を斎行することができましたのも関係者各位のご尽力の賜と心より感謝を申し上げる次第でございます。
ここの神社も移転されたんですね。
平成6年と若いです。
鳥居反対の右手側には・・・
平成6年と若いです。
鳥居反対の右手側には・・・
ご神木。
八幡社・神明宮 合併の碑。
神明宮跡地碑。
ここに着いたときから社殿裏にある家から、おばあちゃんと孫2人が遊びに来ているところだった。
ほのぼのしていてほんわかするな。
ほのぼのしていてほんわかするな。
手水舎の水口は石造の龍タイプ。
賽銭箱は食べる貯金箱に似ているので、食べる賽銭箱と命名。
手前の灯籠は倒壊対策のためこの施し。
拝殿。
狛犬を撮るときいつも見上げるかたちになるんだけど、ここのは低い(自分の背丈と同じくらい?)から意外性がありました。
中を覗くと、八幡社にある左三つ巴紋がいっぱい。
振り返って境内の様子。
本殿は鰹木5本の千木外削ぎ。
鎮座地は国道23号線が矢作川とバッティングするところ。
時間帯なのか曇天だったからなのか、まだ新しく整備もされて綺麗でしたが、静かな場所でどこか寂しげな印象の神社です。