村高天神社 - 安城市村高町
注連縄の色と青い空がまぶしい。
この鳥居の目の前に3、4台停められる駐車スペースがあります。
鳥居を後ろからぱちり。
昭和24年8月建立。
鳥居をくぐって右の方には遊具があって、別の鳥居もある(建立時期は古くて識別不可)
神社に遊具ってよく見る光景、別に公園を造るよりも併設して公園がてらって感じかな。
錆びれていて子供が遊んでるのを想像できない場所が多い中、ここは違っていました。
一度目に訪れたときもすでに子供達が遊んでいて、二度目に訪れたときも、帰り際に家族連れが遊びにきていた。
錆びれていて子供が遊んでるのを想像できない場所が多い中、ここは違っていました。
一度目に訪れたときもすでに子供達が遊んでいて、二度目に訪れたときも、帰り際に家族連れが遊びにきていた。
天神社といえばやっぱりこの牛さん。
御祭神もやっぱり菅原道真。
村高町農民センター・御神木・社記碑を通って、手水舎ではなくからからの水盤のみ。
拝殿。
石段を上がったところに、征露紀念の石柱が両脇にありました。
けっこう強面。眉間にシワがつくよ。
カマキリだって戦々恐々。
猫と出会うことも多いけど、カマキリと出会うこともよくあって、たしかこれで3回目くらいかな。
『この地が、藤野の里(河野・川島・村高一帯)と称され、藤の名所地であったことから、それを記念する句碑が建てられたものです。裏面に芭蕉翁ときざまれています。”咲くほとに藤のもゆかし春のくれ”』
さりげなくすごいんでない?
天神社社殿の隣にはこの建物。
この造りはなんていうんでしょうね、屋根のてっぺんを見てもお堂っぽい。
この造りはなんていうんでしょうね、屋根のてっぺんを見てもお堂っぽい。
中を覗いてもよく判りませんでしたが、社記碑には秋葉社・楠森社があると書かれていたのでそのどちらか。
神社名鑑で調べてみると、由緒にはこのように記されていた。
【由緒】
本殿内に残された棟札に文化14丁丑年(1817)奉造社殿とあり、元藤野郷の郷社で武家の幣帛、社領の寄進があった。明治5年10月14日、村社に列格する。同6年、戸長高須小三郎宅失火により神社の古文書、社宝類を焼失した。同40年1月、本殿を改築し同43年5月5日、字下川成鎮座楠森社を本殿に合祀した。昭和7年11月17日、社務所を改築し、同8年1月12日指定社となる。この地は古来、藤の名所として”天木集”にも宗国の一首が残っている。
本殿内に残された棟札に文化14丁丑年(1817)奉造社殿とあり、元藤野郷の郷社で武家の幣帛、社領の寄進があった。明治5年10月14日、村社に列格する。同6年、戸長高須小三郎宅失火により神社の古文書、社宝類を焼失した。同40年1月、本殿を改築し同43年5月5日、字下川成鎮座楠森社を本殿に合祀した。昭和7年11月17日、社務所を改築し、同8年1月12日指定社となる。この地は古来、藤の名所として”天木集”にも宗国の一首が残っている。
(”天木集”…ググっても詳細つかめず)
ということは、さっきのお堂っぽいのが秋葉社で、楠森社は天神社に合祀ということ…
合祀されても境内社と言えるものなのかな?
そこで今度は合祀について調べてみた。
【合祀】
ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること(寄宮)。
1.本殿で祭神を一緒に祀る本殿合祀。
2.神社の境内に元の神社を移転し境内社とする境内合祀。
3.離れた飛地境内に移転し境外社とする飛地境内合祀。
ある神社の祭神を、別の神社で合わせて祀ること(寄宮)。
1.本殿で祭神を一緒に祀る本殿合祀。
2.神社の境内に元の神社を移転し境内社とする境内合祀。
3.離れた飛地境内に移転し境外社とする飛地境内合祀。
この3種類がある。
この中でいうと1番の本殿合祀でしょうね。
境内は広々としてて人の温かさがあるような気がします。
けっこう好きです。