南朝若宮社 - 岡崎市中伊町
手持ち地図にはまったく表記されていなかったので、ネット地図にて発見して訪れました。
南朝若宮社ですって。
不安になりながらも車を進めていくと案内看板がありがたくもありました。
若宮社はあっち⇒だってさ。
じゃあ案内通り あっち⇒行こう。
その先に石段が見えた。
たぶんあれでしょうね。
たぶんあれでしょうね。
車を停めて整備された石段を上っていくと由緒の看板。
祭神は「崎之宮」である。「崎之宮」は後醍醐天皇の御孫、尹良親王の御子のことである。
里人の言い伝えによると、尹良親王が信州浪合の戦いに敗れたので、「崎之宮」は乳母と家来ととも逃れ、家来の一人荻野伊右衛門の里、ここ根村まで落ちのびた。
しかし、皇子が思い病にかかり、乳母は皇子に飲ませる水を汲みに谷に下りていったが、その間に皇子の悲報を聞き、乳母もそこで息絶えたという。
以来、荻野一族はここに若宮社を造って皇子をまつり、谷に塚を築き、乳母塚としてまつってきた。
なお現在、乳母塚は、ほ場整備のため境内に移転され、まつられている。
里人の言い伝えによると、尹良親王が信州浪合の戦いに敗れたので、「崎之宮」は乳母と家来ととも逃れ、家来の一人荻野伊右衛門の里、ここ根村まで落ちのびた。
しかし、皇子が思い病にかかり、乳母は皇子に飲ませる水を汲みに谷に下りていったが、その間に皇子の悲報を聞き、乳母もそこで息絶えたという。
以来、荻野一族はここに若宮社を造って皇子をまつり、谷に塚を築き、乳母塚としてまつってきた。
なお現在、乳母塚は、ほ場整備のため境内に移転され、まつられている。
なるほどね。
靖国鳥居と社号標。
鳥居…大正10.4
社号標…大正10.4。18.7×18.7の正方形。
社号標…大正10.4。18.7×18.7の正方形。
数字が揃って気持ちがよろしい。
社殿が見えてきた。
一応水盤もあり。
正面の扁額さんはとってもシンプル。
ブルドッグの錠前にラップに包まれた餅。
社殿の側壁には由緒書きが掲げられていました。
境内神社に社口社(猿田彦命)と地之神社(大地主神)!?
こまかい文字だったので、その時は写真に収めてから家でじっくり読もうと思っていましたが…
境内社2社書かれているけども、あったけな?
境内社2社書かれているけども、あったけな?
社殿の裏手にあったのは
これと
これと
これ。
これが社口社と地之神社だとは思えないんだけど…
境内はそんなに広くないから他にお社はないはずだけどな。
~おまけ~
ここの若宮社に向かう途中の道路で、こんなナニコレを発見しました。
電子レンジだけ落ちていたら単純に不法投棄かと思うだけですが、
これは専用の台に置かれている…
実はこれ、共同の新聞受けとして使われているものなんです。
電子レンジのある場所から奥の集落へ続く道は、新聞配達の車が通りづらい細い道。
そのため、新聞屋さんには集落分の新聞を電子レンジにまとめて配達してもらい、それを住民たちが交代制で配るようになったそうなんです。
共同の新聞受けとして電子レンジを使うようになった理由は、雨が入らず、重さがあるため風で飛ばされないからとのこと。
ナニコレ珍百景で本当に紹介されていたようでした^^