そこらへんの神社!

知立・安城・刈谷・岡崎・豊田周辺の神社めぐりをしています。

御鍬神社 - 蒲郡市竹島町



以前紹介した蒲郡市竹島八百富神社近く、遥拝所の北側です。

せっかく蒲郡に行くんだから、八百富神社だけじゃなく、近くにそこらへん神社がないかと探して見つけたところです。




鳥居はこちら。
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左の建物は南部市民センター。
その隣に鳥居、そして石段が続いています。昭和11年4月製。

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石段を上りきると社殿。
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人気の八百富神社と比べて人は皆無、遥拝所と同じくどこか寂しげだ。
参拝しにくる人もすくないんだろうなぁ



扁額。
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中を覗かせてもらった。
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お社3つ。
左から御鍬神社、津島神社、大神宮。

御鍬社がメインなのに端っこ、真ん中に大きなお社の津島神社ってなんでさ。



御鍬社っていうのは他の地域では見られない、東海地区限定されるようだ。

でも正直 御鍬社ってよくわからない。
祭神は天照皇大神伊勢大神と表記されていたり、豊受比売命や伊雑大神といくつかいるようですが、
本来の祭神は伊射波止美命、玉柱屋姫命だという話もあります。…どうなんでしょう。


また、鍬=農機具の鍬と捉えられることから、農耕に関わっているとも考えられているそうな。

ここで興味深い資料があります。

江戸時代末期に尾張にいた天野信景の著作、「祭祀雑彙」より
御師や御祈祷師が近頃、皇大神宮の神田の神事に使用した品であると称して、桑の木で作った鍬形を付近の村里に領布して歩いている。村里では農民がその鍬形を田園に持ち回り豊作を祈願し、その鍬形を村から村へと順に送り渡して、村によっては盛大に芝居や技芸を催して祝ったりしている。最終的にはその鍬形を祠に納め祀っている。これは、元来、鍬は神ではない。村人たちが愚かにも神のように思いこみ敬い崇めたのである。世間一般で、諸神社の大麻や札などを神として崇める風俗と同じである。利に賢い、けしからぬ御師どもが、他国まで宣伝して歩いたので、鍬神の神号さへできて、善良な民衆を惑わすようになってしまった』と書かれています。

伊勢神宮にも鍬山神事がある。(←ありました?過去形かな)
水田の種まき始めの行事で、まずその年の耕作に最初に使用する鍬の柄をつくるための用材を切り出し、その木を用いて忌鍬(いみくわ…祭祀に用いる鍬)を作ることから始まります。
忌鍬を神田に持ち出して耕作を始めの神祭りをしてから種まきをするという手段で神事が行われていたようです。

上記の神事とは、おそらくこの鍬山神事のことでしょうね。

伊勢神宮に関わりが深いようだ。





石段の下から中高齢の団体がやってきた。
この御鍬神社の裏にホテルがあるようで、ここが通り道みたいだ。


見下ろして鳥居はこんな光景。
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御鍬神社の右側には金比羅神社(おそらく境内社
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専用の鳥居があって、昭和2年4月建立。


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柱には金属性の文字盤が付けられている。
こういうのは初めてかも。




鳥居の石扁額には『金刀比羅神社』瑞垣には『金比羅神社』 よくある相違。
統一すればいいのにと思いながら小さな狛犬さんとお社。

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小さいながらも屋根は銅葺きされている。




八百富神社もいいけれどこちらの神社もよろしくね、な、御鍬神社の代弁なのでした。