御鍬神社 - 蒲郡市竹島町
せっかく蒲郡に行くんだから、八百富神社だけじゃなく、近くにそこらへん神社がないかと探して見つけたところです。
鳥居はこちら。
石段を上りきると社殿。
人気の八百富神社と比べて人は皆無、遥拝所と同じくどこか寂しげだ。
参拝しにくる人もすくないんだろうなぁ
参拝しにくる人もすくないんだろうなぁ
扁額。
中を覗かせてもらった。
御鍬社がメインなのに端っこ、真ん中に大きなお社の津島神社ってなんでさ。
御鍬社っていうのは他の地域では見られない、東海地区限定されるようだ。
でも正直 御鍬社ってよくわからない。
祭神は天照皇大神、伊勢大神と表記されていたり、豊受比売命や伊雑大神といくつかいるようですが、
本来の祭神は伊射波止美命、玉柱屋姫命だという話もあります。…どうなんでしょう。
祭神は天照皇大神、伊勢大神と表記されていたり、豊受比売命や伊雑大神といくつかいるようですが、
本来の祭神は伊射波止美命、玉柱屋姫命だという話もあります。…どうなんでしょう。
また、鍬=農機具の鍬と捉えられることから、農耕に関わっているとも考えられているそうな。
ここで興味深い資料があります。
江戸時代末期に尾張にいた天野信景の著作、「祭祀雑彙」より
『御師や御祈祷師が近頃、皇大神宮の神田の神事に使用した品であると称して、桑の木で作った鍬形を付近の村里に領布して歩いている。村里では農民がその鍬形を田園に持ち回り豊作を祈願し、その鍬形を村から村へと順に送り渡して、村によっては盛大に芝居や技芸を催して祝ったりしている。最終的にはその鍬形を祠に納め祀っている。これは、元来、鍬は神ではない。村人たちが愚かにも神のように思いこみ敬い崇めたのである。世間一般で、諸神社の大麻や札などを神として崇める風俗と同じである。利に賢い、けしからぬ御師どもが、他国まで宣伝して歩いたので、鍬神の神号さへできて、善良な民衆を惑わすようになってしまった』と書かれています。
『御師や御祈祷師が近頃、皇大神宮の神田の神事に使用した品であると称して、桑の木で作った鍬形を付近の村里に領布して歩いている。村里では農民がその鍬形を田園に持ち回り豊作を祈願し、その鍬形を村から村へと順に送り渡して、村によっては盛大に芝居や技芸を催して祝ったりしている。最終的にはその鍬形を祠に納め祀っている。これは、元来、鍬は神ではない。村人たちが愚かにも神のように思いこみ敬い崇めたのである。世間一般で、諸神社の大麻や札などを神として崇める風俗と同じである。利に賢い、けしからぬ御師どもが、他国まで宣伝して歩いたので、鍬神の神号さへできて、善良な民衆を惑わすようになってしまった』と書かれています。
伊勢神宮にも鍬山神事がある。(←ありました?過去形かな)
水田の種まき始めの行事で、まずその年の耕作に最初に使用する鍬の柄をつくるための用材を切り出し、その木を用いて忌鍬(いみくわ…祭祀に用いる鍬)を作ることから始まります。
忌鍬を神田に持ち出して耕作を始めの神祭りをしてから種まきをするという手段で神事が行われていたようです。
水田の種まき始めの行事で、まずその年の耕作に最初に使用する鍬の柄をつくるための用材を切り出し、その木を用いて忌鍬(いみくわ…祭祀に用いる鍬)を作ることから始まります。
忌鍬を神田に持ち出して耕作を始めの神祭りをしてから種まきをするという手段で神事が行われていたようです。
上記の神事とは、おそらくこの鍬山神事のことでしょうね。
伊勢神宮に関わりが深いようだ。
石段の下から中高齢の団体がやってきた。
この御鍬神社の裏にホテルがあるようで、ここが通り道みたいだ。
この御鍬神社の裏にホテルがあるようで、ここが通り道みたいだ。
見下ろして鳥居はこんな光景。
専用の鳥居があって、昭和2年4月建立。
柱には金属性の文字盤が付けられている。
こういうのは初めてかも。
こういうのは初めてかも。
小さいながらも屋根は銅葺きされている。
八百富神社もいいけれどこちらの神社もよろしくね、な、御鍬神社の代弁なのでした。