谷田神明社 - 知立市谷田町
鳥居と社号標。
鳥居は西側にあります。すこし頭でっかち気味。
この車止めがオレンジでかなり目立つんだ。
この車止めがオレンジでかなり目立つんだ。
鳥居をくぐって右側には遊具達がひっそりと待ってる。
かなり錆びれていたし、あそびにくる子はほとんどいないんだろうな。
かなり錆びれていたし、あそびにくる子はほとんどいないんだろうな。
この谷田神社には小さい頃に幾度と訪れたことがあって、
この遊具でも遊んでた記憶があるんです。
この遊具でも遊んでた記憶があるんです。
昔この境内社があった記憶がまったくない。新しくできたのかな…
手水舎は写真撮り忘れました。
手水舎の奥には郷倉なるものがありました。
こんな感じの。
説明書きがあったのでその写しです↓
説明書きがあったのでその写しです↓
【郷倉】
郷倉とは、天明の大飢饉(一七八一~一七八八)を機に、幕府が備蓄用の穀物を
貯蔵させるために、全国の村々に造らせた倉庫のことをいう。
ほとんどの郷倉は明治十年前後に取り壊され、市内で現存しているのはここだけである。
この郷倉は、昭和十年に郷中より移築し、神社用倉庫として使用されていた。
現在は、村の古文書類が保管されている。
移築の祭、外側の壁を塗りかえるなど一部修復されてはいるが、建築様式は創建当時の
ままであり、民族資料として貴重なものである。
郷倉とは、天明の大飢饉(一七八一~一七八八)を機に、幕府が備蓄用の穀物を
貯蔵させるために、全国の村々に造らせた倉庫のことをいう。
ほとんどの郷倉は明治十年前後に取り壊され、市内で現存しているのはここだけである。
この郷倉は、昭和十年に郷中より移築し、神社用倉庫として使用されていた。
現在は、村の古文書類が保管されている。
移築の祭、外側の壁を塗りかえるなど一部修復されてはいるが、建築様式は創建当時の
ままであり、民族資料として貴重なものである。
そして拝殿。
社殿横には石碑が2つあった。
鳥居前のまっすぐな道だとか面影があってすぐわかるのがすごい。
画像は勝手に使えないから見せられないけど、googleで検索すれば見つかるはずだから是非見てほしいな。
子供4人が直立してる姿がかわいい。
最後にひいたアングルでぱちり。
追記:
実は鳥居前で写真を撮り終えたあと、ショルダーバックへカメラをしまおうとしたら
落としてしまって角の部分に後遺障害が残った。
実は鳥居前で写真を撮り終えたあと、ショルダーバックへカメラをしまおうとしたら
落としてしまって角の部分に後遺障害が残った。
ケースにしまっていたからまだ良かったんですが、そのケース、
四隅部分がちょっと見えてるタイプだったのでこんな結果に...
四隅部分がちょっと見えてるタイプだったのでこんな結果に...
撮影自体に影響なかったのが不幸中の幸いです。